岡山名物、きびだんご。その名を聞いて、多くの人が思い浮かべる店がある。安政3年創業の廣榮堂だ。今年、創業170周年を迎えた老舗を率いるのが、代表取締役・武田浩一である。

だが武田は、はじめから菓子の道を歩いていたわけではない。
1987年、大学卒業を目前にした武田は、長崎県の高島炭鉱を訪ねている。閉山したばかりの島だ。元炭鉱労働者の家族の家に居候し、夜ごと語り合った。人にとって、仕事の意味とは何か——。若い武田は、その答えを探していた。
卒業後は東京の信託銀行に就職する。バブルの真っただ中。街は華やかで、カネさえあれば何でも買える、そんな空気が満ちていた。
1993年、転機が訪れる。記録的な長雨と冷夏で、日本中が米不足に陥った。スーパーに行列ができた。急激な円高で、国内の優れた工場が次々と海外へ移っていった。
「ものづくりの家に生まれ育った人間として、心が痛んだんです。戦後の日本を支えてきたのは、真摯なものづくりだったはずなのに」と武田は振り返る。
翌年にはロンドンへの異動が決まりかけていた。それでも武田は決めた。日本のものづくりに生きる、と。
退職前、バックパックを背負ってヨーロッパを回った。ポルトガルで劇作家と出会い、旅をともにした。歴史を、芸術を、日々の食と人生を心から楽しむ人々。その豊かさが、胸に深く刻まれた。
1994年、武田は岡山に戻り、廣榮堂に入社する。

廣榮堂は、もともと瀬戸物屋だった。日常の食べ物だったきびだんごを、お茶菓子や旅の友にしたい。もち米、上白糖、水飴を使った製法を完成させ、商売替えをした。池田藩主に認められ、明治19年には明治天皇に献上し「日本一のきびだんご」との言葉を賜った。
2006年、武田は代表取締役に就任する。父である先代から、こう言われたという。
「何を変えてもいい。ただ、廣榮堂の暖簾に対する期待感と信用だけは下げるな」
その言葉は、今も武田の経営の柱だ。
武田は変えた。社員が社長に自由に文句を言える、風通しのいい会社にする。理想の柔らかさを出すため、製造機械は機械メーカーと特注で設計する。当たり前の美味しさを、完璧にこなす。ISO22000も取得した。2023年には経営理念を刷新し、「豊かな食シーンを岡山から世界へ」を掲げた。

建築が大好きなのだ、と武田は笑う。直営7店舗の空間には、設計段階から関わる。創業の地・中納言本店は木組みの日本建築。藤原店などでは古民家再生の手法を取り入れた。
「お客様が日常から離れて、素顔に戻れる場所をつくりたいんです」
ヨーロッパで見た、食と人生を楽しむ時間。それが今、岡山の店のなかにある。
2年前には、フランス・パリへのきびだんごの輸出を始めた。挑戦はブランドの価値を高め、「この会社で新しいことがしたい」という若者を引き寄せている。年末の餅つき大会、おかやまマラソンへのきびだんご提供、子ども向けの生菓子教室。地域との絆も、変わらず大切にしている。

30代で、それまでのキャリアを手放した。ゼロからの再出発だった。だから武田は、若い世代にこう語りかける。
「もう遅い、自分には無理だ、なんて諦めないでほしい。20代も30代も40代も、挑戦するチャンスはいくらでもある。今この瞬間が、一番フレッシュなんです」
炭鉱の島で問いかけた、仕事の意味。その答えを、武田は170年続く暖簾の下で見つけた。日本のものづくりに生きる——あの日の覚悟は、今、海を越えようとしている。





