焼酎の里 霧島ファクトリーガーデン ショップ
  • 役職

    企画室PR課係長

  • 氏名

    内田 沙樹(インタビュー対象者)

  • 会社名

    霧島酒造株式会社

  • URL

    https://www.kirishima.co.jp/

ときめきの一杯を

霧島酒造は今年、創業110周年を迎えた。宮崎県都城市に本社を置き、「黒霧島」で知られる焼酎メーカーである。その歩みとこだわりについて、企画室PR課係長・内田沙樹に話を聞いた。

都城の夜の居酒屋で、客が短く言う。「黒」。それで注文が通る。説明はいらない。この街では、焼酎は酒である以前に、暮らしの一部なのだ。その日常に溶け込んだ文化こそが、霧島酒造の支えである。

物語の始まりは、醤油や味噌を扱う「川東江夏商店」だった。第一次世界大戦後の好景気で焼酎の需要が高まると、初代・江夏吉助は1916年、焼酎の製造免許を取得する。霧島連山の麓、豊かな水に恵まれた土地だ。この年が、霧島酒造の創業年となった。

転機をつくったのは、二代目・江夏順吉である。東京大学で応用化学を学んだ、無類の機械好き。順吉は杜氏制度を廃止し、自ら機械を考案して生産体制を近代化した。大胆な決断だった。だがそれは、単なる効率化ではない。職人の勘に頼っていた部分を数値化し、いつでも同じ高品質を届けるための挑戦だった。

この仕組みがあったからこそ、のちに「黒霧島」が全国で愛されたときも、品質を損なうことなく届け続けることができた。

順吉には、もうひとつの闘いがあった。

霧島酒造が造る単式蒸留焼酎は、かつて税制上「乙類」に分類されていた。甲と乙。その言葉には優劣の響きがつきまとう。伝統の酒が、どこか一段低く見られていた時代があったのだ。

順吉は納得しなかった。この伝統的で味わい深い酒が、劣っているはずがない——。原料の風味が生きる製法を称え、「本格焼酎」と呼ぶことを提案した。看板に、広告に、その言葉を掲げ続けた。業界全体を巻き込んだ地道な活動の末、1962年、「本格焼酎」は大蔵省令で正式な呼称として認められる。

「自分たちの造るものに誇りを持って、それを世に問い続ける。その精神は、今の私たちにも色濃く受け継がれています」と内田は語る。

その誇りは、今「4つの100%」というかたちで表れている。九州産さつまいも、霧島裂罅水、国産米、そして自社工場生産だ。

南九州のシラス台地は水はけがよく、良質なさつまいもを育む。それを収穫から3日以内に仕込む。芋本来の甘みと、雑味のない味わいを引き出すためだ。品種ごとに異なる芋の個性を活かし、飲む人がいつも“ときめき”を感じられる品質を追い求めている。

仕込み水は、都城盆地の地下岩盤の割れ目に蓄えられた地下水「霧島裂罅水」。数十年をかけて自然にろ過され、酵母を助けるミネラルを適度に含む。まろやかな口当たりは、この水から生まれる。

2024年には国際的な食品安全規格「FSSC22000」も取得した。原料から、客の手元に届くまで。幾重にも確かめる。地元の恵みを最高の商品に変えて届けること。それが、この蔵の誠実さの証だ。

焼酎は、実は今の時代に合った酒である。お湯割り、水割り、炭酸割り、カクテル。一本あれば、その日の気分や料理に合わせて自由に楽しめる。多様性の時代に、これほど懐の深い酒はない。

霧島酒造が掲げるのは、「焼酎文化は食文化の基にありき」という考え方だ。日々の食卓に寄り添う、最高の人生のお供でありたい。国内で焼酎の新たな価値をつくり続け、将来的には和食文化の広がりを追い風に、海外へ。地元の生産者や飲食店とともに歩み、地域全体を盛り上げていくことも、自らの使命としている。

「自分たちの仕事が、街の誰かを笑顔にしている。それが何よりのやりがいなんです」と内田は言う。

居酒屋で「黒」と一言で通じる街。その当たり前は、110年分の挑戦の上にある。九州の恵みと、受け継がれてきた誇り。そのすべてを注ぎ込んで、霧島酒造は今日も、ときめきの一杯を届け続けている。

 

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