岡山から全国へ。紳士服の「はるやま」を率いるのが、代表取締役社長・治山正史である。
正史。その名には、母の願いが込められていた。正しい歴史を刻み、歴史に名を残しなさい——。
少年はその言葉を、ずっと胸に抱えていた。どうすれば名を残せるのか。大学時代、ある人に言われた。商社なら世界を舞台に大きな仕事ができる、と。1989年、治山は伊藤忠商事に入社する。
ニューヨーク駐在。ビジネスの最前線。がむしゃらに働く毎日だった。充実していた。だが家業が転換期を迎えたとき、治山は自らのルーツを見つめ直す。
「商社で得たものを活かして、自分だからこそつくれる価値を家業で生み出したい。服を通じて社会に貢献したい、と思ったんです」と治山は語る。
1994年、治山ははるやま商事に入社した。

当時の紳士服業界は、他社の真似をし合うのが当たり前だった。どの店のスーツにも、はっきりした違いがない。圧倒的な差別化が要る。治山が目をつけたのは、女性の間で大ヒットしていた細身のジーンズだった。脚が長く見える。これをスーツでやれないか。
社内は猛反対した。窮屈なスーツが売れるわけがない。
治山は諦めなかった。オーダーメイドの職人に頼み、試作品をつくった。出来上がった一着を見た瞬間、反対していた社員たちが声を揃えた。「これはカッコいい!」
「脚長スーツ」は爆発的にヒットし、業界の常識を覆した。無理だと言われても、面白いと思ったら挑む。その姿勢が、治山の経営の核になった。2003年、治山は社長に就任する。

2011年3月、東日本大震災。
東北の約40店舗が被災した。津波で跡形もなく流された店もあった。仲間が、その家族が命を落とした。
約1週間後、治山は現地に入る。阪神・淡路大震災も経験していた。だがあのときは、壊された街があった。東北の湾岸には、それすらなかった。見渡す限り、灰色の砂浜が広がっているだけだった。
「売上を失ったことより、仲間を失ったことが何よりも辛かった。言葉にならない無力感でした」
それまでの治山は、服で人を格好よくすること、幸せにすることを信じて突っ走ってきた。だが、あの光景の前で思い知る。おしゃれの前に守るべきものがある。命だ。健康だ。
治山は大学などの専門機関を回り、服と健康を科学で結びつける研究を重ねた。ストレス対策、インフルエンザ対策。機能性の商品が次々に生まれた。
2015年、健康宣言。健康に関わるウェアを届ける。店舗を健康ステーションにする。スタッフの健康を守る。三つの約束とともに、会社は「おしゃれと健康」へと大きく舵を切った。ノーアイロンで着られるワイシャツ「アイシャツ」は、忙しいビジネスパーソンの毎日を軽くしている。

治山が見据えるのは、流行ではない。インフラだ。
「リーバイスのジーンズみたいに、誰がつくったか知らなくても、100年後まで世界中で当たり前に着られている。そういう服をつくりたいんです」
そのためにも、まずは共に働く仲間が健康で、幸せでなければならない。かつて治山は、全社員約2000人に手書きの誕生日カードを送っていた。感謝を伝えたかったからだ、という。
若い世代に向けて、治山はこう語る。
「人生は一度きり。やった後悔より、やらなかった後悔のほうがずっと残る。今が一番若いと信じて、一歩を踏み出してほしい」
歴史に名を残せ。母の願いは、いつしか形を変えた。名前は残らなくてもいい。100年後、誰かが何気なく袖を通す一着に、はるやまの挑戦が生きていれば——それこそが、治山正史の刻む正しい歴史なのだろう。





