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  • 役職

    副院長

  • 氏名

    佐野 公俊

  • 会社名

    総合新川橋病院

天命に従い
患者のために尽くす

医学という無限の荒野を切り拓くために、己の手術刀と冷徹な知性を武器に戦い続けてきた戦士。その姿は、単に脳神経外科医という肩書きを超え、一つの哲学を体現する生き方そのものである。佐野公俊は1945年、東京の板橋区で空襲の翌日に生まれた。母方の祖父と叔父が医師という環境で育ち、幼い頃から医学の道を志した。その背景には、彼の母親の「医者がいい、医者がいい」という言葉が大きな影響を与えている。そして、幼少期から身近にあった時計屋の作業道具が、彼の手先を鍛え上げる。ピンセットやペンチで遊びながら、指先の感覚を研ぎ澄ませていった少年時代。それが後の外科医としての礎を築いたのだ。

彼の人生の転機は、慶應義塾大学医学部への進学とともに訪れる。学問への好奇心が旺盛だった彼は、浪人時代に予備校で得た化学や数学の知識を貪欲に吸収し、「乾いた砂が水を吸収するように知識が頭に入ってきた」と語る。その知識欲は、脳神経外科という専門分野に進む道を切り開いた。大学卒業後、彼は米軍の横須賀海軍病院でのインターンを経験し、英語での診察や手術に取り組む中で、国際的な視野と実践力を身につけた。

その後、藤田保健衛生大学での助教授就任や、脳動脈瘤クリッピング手術の実績がギネス記録に登録されるなど、彼のキャリアは輝かしい成果に満ちている。しかし、それは決して安易な道ではなかった。「あえてきつい方向を選ぶ」という彼の哲学が、その道筋を形作ったのである。医師として成長するために、最も困難で、挑戦的な症例に取り組むことを厭わなかった。

佐野の手術における特徴は、その徹底した準備にある。彼はどんなに簡単な症例であっても、必ず患部の絵を描き、手術の流れをシミュレーションする。このプロセスが、失敗のリスクを極限まで下げる秘訣だ。「手術というのはライオンを寝たまま捕まえるようなもの」と語る彼は、術前の準備がいかに重要かを熟知している。その結果、これまでに1万例を超える手術を成功させ、患者たちの信頼を勝ち取ってきた。

定年退職後も、彼の挑戦は続く。現在、川崎市の総合新川橋病院で副院長を務める傍ら、国内外で若手医師たちに技術を教え、インドの脳神経外科専門病院の設立にも携わる。「知識や経験を次世代に伝えることが、私の使命」と語る彼の眼差しは未来を見据えている。

彼の哲学は、単なる技術者としての枠を超えている。それは、「常に先を見てどう生きるかを考える」こと。「あえてきつい方向を選ぶ」こと。「裏での努力を怠らない」こと。そして、「仕事をやりっぱなしにしない」こと。これらの信念は、彼の生き方そのものだ。

AIやロボットが医療を変革しつつある現代においても、彼は手術における人間の感覚の重要性を強調する。脳神経外科のように繊細な分野では、手術器具を通じて伝わる微細な感覚が命を左右する。その感覚を磨き上げるためには、不断の努力が必要だと彼は語る。

佐野公俊は、医療の未来を見据えつつも、患者一人ひとりに寄り添う姿勢を崩さない。その哲学と行動力は、医学の世界において唯一無二の存在として輝き続ける。彼の挑戦は、今後も新たな地平を切り開き、多くの人々に希望を与え続けるだろう。

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