口の中で充満する幸せを

株式会社パリ・ドートンヌ。代表取締役の川村浩二は、パティシエとしての豊富な経験を活かし、洋菓子製造業で独自のポジションを築いている。足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのはクレープを焼く香ばしい匂いと、ショーケースに並ぶ美しい焼き菓子たちだ。しかし、この輝かしい光景からは想像もつかないほど激烈な修行時代を、彼は歩んできた。

19歳で専門学校に入学した川村は、体験入学でお菓子作りの楽しさに魅了された。「お菓子作りってこんなに楽しくて、これが仕事になるんだったら、これを仕事にしよう」—そう決めた瞬間から、彼の人生は一変する。

卒業後、世田谷区の名店で5年間の修行を開始。ここで川村は、世界一のパティシエになるという壮大な夢を抱く。その原動力は高校時代の挫折だった。「野球部でどんだけ努力しても報われなかったんです。次こそは絶対に…と思って」しかし修行の過酷さは想像を絶するものだった。「毎日朝6時から深夜2時まで、文字通りぶっ通しで働いてました。週1回の休みで、1週間に2回はテーブルの上で30分くらいしか寝れない日がありました」それでも川村は決して折れなかった。自分で決めたことは絶対やる、という信念を貫き通した。

5年の修行を経て、川村は師匠に「世界の舞台を目指したい」と相談する。フランスで川村が見たものは、日本とは全く異なる職人の姿だった。「フランスのシェフは厨房に素足で上がる。日本では考えられない」当初は驚きを隠せなかったが、この経験が、後の川村の柔軟な経営スタイルの土台となる。

帰国後、都内の著名ホテルでさらに技を磨いた川村。しかし皮肉にも、世界一への道のりは想像以上に険しかった。自分より若い人のほうが実力があるという現実に直面し、ついに彼は世界一への挑戦から身を引く決断を下す。

挫折に打ちひしがれた川村を故郷に向かわせたのは、純粋な家族への思いだった。知人の紹介で、わずか3畳のスペースを借りて事業を始めた。半分勢いで始めたと川村は笑うが、初日の売上は140万円を記録。場所も分かりにくい立地にも関わらず、友人たちの支援で、結果は予想を大きく上回った。

「美味しいクレープが日本には少ない。自分の経験を活かせるのはクレープかもしれない」と新たな市場機会を見出して始めたクレープ事業は、すでにメインの事業のひとつとなっている。毎月新作を投入し、既製品に頼らない本格的な味で差別化を図る戦略が、実を結んでいるのだ。

そんな川村の強みは、一流店で培った技術を惜しみなく商品に注ぎ込む点にある。「今まで修行してきたお店の数々は、どれも”美味しい”ところ。そんな名店を渡り歩いてきた自負があるからこそ、自分が提供するスイーツに対して美味しさを妥協してはいけないと思っています」

自分がやると決めたことをやれば、自信につながる。そしてそのことは、自分しか知らない。それはいつしか、生きている限り自分の中に輝き続ける自負となる。

お客様の笑顔という新たな目標を得た川村の挑戦は、続く。

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