彼の言葉には不思議な重みがある。キングジム代表取締役社長、宮本彰。彼は日本のビジネス界における「ファーストペンギン」の象徴と言っても過言ではない。誰もが恐れる海に一歩踏み出し、未知の領域で魚を得る、その姿勢が彼の経営哲学を形作っている。
宮本氏が社長に就任したのは、38歳のときだった。慶應義塾大学を卒業し、家業であるキングジムに入社してから15年、彼は家族経営の枠を超えた会社を作るために、果敢に挑戦を続けた。彼の代名詞とも言える「テプラ」や「ポメラ」といったヒット商品は、実は数多くの反対を乗り越えて世に出たものである。
「多数決からヒット商品は生まれない」と宮本氏は言う。彼の考えは、少数派のアイデアや異端な発想こそが新しい市場を切り開く力になるというものだ。実際、「ポメラ」の開発会議では、出席者のほとんどが「売れない」と否定的だったが、たった一人の外部取締役がその価値を見抜いた。「これは素晴らしい商品だ」というその一言が、今日まで続くデジタルメモ市場の創造へと繋がった。
宮本氏はまた、「失敗を恐れないこと」の重要性を説く。新商品が10個のうち1つ成功すれば良いと考え、それを前提に開発を進めている。失敗を単なる損失ではなく、次への学びとして捉えるその姿勢は、社員の士気を保ち、新たな挑戦を可能にする土壌を作り上げている。
さらに彼の経営哲学の核心にあるのが、「市場を先読みし、隙間を狙う」というアプローチだ。ペーパーレス化やテレワークの拡大で従来のファイル需要が縮小する中、彼は家庭用のキッチン家電や低価格家具といった分野に積極的に進出し、時代の変化を先取りした製品を次々に投入してきた。コロナ禍における「手をかざすだけで消毒できる自動消毒器」はその代表例であり、技術的な挑戦を乗り越えた結果としてヒット商品となった。
彼の経営は単なる数字の追求にとどまらない。宮本氏は「社員一人ひとりが主役であるべき」という信念を持ち、社員との対話を重視している。オンラインのお茶会や趣味の話を通じて若手社員との距離を縮める努力を怠らない。その背景には、「会社が単なる組織で終わってはいけない」という思いがある。
キングジムのビジネスモデルを支えるのは、常に「隙間を埋める発想」だ。大企業が手を出さないニッチ市場で勝負し、その中で唯一無二の存在になることを目指している。その好例が「ポメラ」であり、ネットに繋がらないという一見不便にも思える特徴が、逆にセキュリティと利便性を求めるニーズに応えた。
宮本氏はまた、自らを「イエスマン」と呼ぶ。専門性の高い社員や外部の専門家の意見を尊重し、自分の判断を無理に押し通さない。この柔軟性が、キングジムを支える基盤となっている。
「ファーストペンギンであれ」という言葉は、彼の口癖の一つだ。危険を恐れず、まだ誰も見たことのない世界を目指す。そこにこそ未来があると信じて疑わない。その哲学が、キングジムを単なる文房具メーカーから多様な生活領域へと進化させる原動力となっている。
宮本彰という人物を形作るのは、挑戦と失敗、そしてそれを乗り越えた先の成功だ。彼が描く未来のシナリオには、経営者としての確かなビジョンと、人間としての温かみが溢れている。