天台宗の開祖、最澄は「一燈照隅、万燈照国」という言葉を遺した。その言葉には、一人ひとりが自らの役割を見出し、それが集まることで社会全体を照らすという深い思想が込められている。その教えは千年以上の時を超え、現代に生きるある医師の歩みにも通じている。その医師の名は上本宗忠。鳥取県に生まれ、自治医科大学を卒業後、彼は地方医療の現場で実直に経験を重ね、2005年、栃木県佐野市に「かみもとスポーツクリニック」を開業した。
佐野市という選択には先見の明があった。東北自動車道と北関東自動車道の交差点に位置するこの地は、関東圏の多くの人々にアクセス可能であり、スポーツ選手が集う環境を整えるのに理想的だった。しかし、それ以上に重要だったのは、上本院長が追求する「トータルサポート」という医療の理念だった。
このクリニックは、単なる治療の場ではない。ドクターによる的確な診断、柔道整復師の炎症コントロール、理学療法士による局所機能障害の改善、そしてアスレチックトレーナーによる復帰支援——。これら多職種の連携が、選手一人ひとりの夢と希望を支えるために緻密に機能している。上本院長は、「選手がなぜけがをしたのか、どうすれば防げるのかを自ら気づき、自ら変わる。その過程を支えるのが私たちの使命です」と語る。その言葉には、医療の枠を超えた、人間教育の思想すら漂う。
開業からの道のりは決して平坦ではなかった。開業3年目、スタッフの半数が辞めていった。次に訪れたのは、理学療法士の大量退職。上本院長はそのたびに自らを省みた。「自分に足りなかったのは人間力だ」と気づいたのは、偶然手にした一冊の書籍がきっかけだった。その後、彼は古典や哲学書を貪るように読み、自らを鍛え直した。クリニックの理念は次第に磨かれ、「悩み苦しむ選手を幸せにし、笑顔と元気を取り戻す」というテーマが生まれた。
2013年には、全身の動きを確認しながら現場復帰をサポートする「PFCC(Pre-Field Conditioning Center)」を設立した。全天候型の施設は、木造建築の温もりを感じさせるデザインで、選手が自らの身体の変化を実感できる場所として機能している。選手たちはそこで「もう走れるか」「ボールを投げられるか」といった具体的な相談を重ね、自らの限界を少しずつ超えていく。
「治療即予防」というコンセプトのもと、上本院長が目指すのは、単なる医療提供ではない。選手自身がけがを学びの契機とし、さらに成長する。その成長の場を提供することが、このクリニックの本質である。医療法人の名前「一燈会」は、まさに最澄の教えを体現している。一人の努力が全体を照らす光となる。その理念は、スタッフ一人ひとりにも共有され、組織全体の成長へとつながっている。
上本院長は、自身の人生を「何を次世代に残すのか」というテーマで捉えている。「医療が受け身的であってはならない。患者自身が主体的に変わり、自らの身体を守る意識を育てることが重要です」と語るその目は、未来を見据えている。現代の医療は、どうしても医師が主導する形に陥りがちだが、上本院長のアプローチは異なる。患者が自ら変わる主体性を育むことが、彼の目指す新しい医療の形だ。
そして彼の視線の先には、医療を超えた社会的な目標もある。PFCCを単なる治療の場ではなく、地域のコミュニティの中心とする計画だ。毎月のトレーニング会を通じて、地域住民が気軽に集まり、健康を維持する。選手だけでなく、地域全体の健康寿命を延ばす取り組みが、次第に具体化されている。
鳥取の田舎町で育ち、ラグビー部のキャプテンを務めた学生時代。そこで学んだ「自ら率先して動く」という信念が、彼の医療哲学の基盤にある。リーダーとして、そして医師としての自覚は、年を重ねるごとに深まった。還暦を迎えた今、彼の挑戦は続いている。「一燈照隅、万燈照国」。その言葉の意味を実践する生き方が、上本宗忠という一人の医師の歩みに刻まれている。その光は、彼が支える選手たち、地域住民、そして未来の医療へと、これからも静かに、しかし確かに広がっていくだろう。
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役職
院長
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氏名
上本 宗忠
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会社名
かみもとスポーツクリニック
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URL
一燈照隅、万燈照国
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