愛知県を拠点に事業を展開する野々山建設株式会社。その歩みは、決して平坦なものではなかった。代表取締役の野々山正春は、総合建設業という過酷な世界で生き残るため、ある明確な戦略を持っている。
それは、他社がやらないあるいはできない特殊な領域に特化することだ。
野々山建設の事業は、主に5つの柱から成る。ゴルフ練習場の鉄塔や打席の建設、ガソリンスタンドや水素ステーションの建築、官公庁からの公共工事、クリニックや調剤薬局の特殊な造成・新築、そしてグループホームなどの改修工事である。特にガソリンスタンドの建築においては、専門で請け負える業者が東海3県を合わせてもわずか5、6社しか存在しないという。
彼らはそうしたニッチだが不可欠な分野で確固たる地位を築き上げてきた。

しかし、現在の安定した土台の裏には、想像を絶するような修羅場があった。
それは文字通りの絶体絶命の危機だった。
ある時、野々山の父親が絶対の信頼を置いていた右腕が会社の資金を横領したのだ。連帯保証人の印鑑を押していたこともあり、野々山建設は突如として8億2千万円という莫大な負債を抱え込むことになった。
生まれ育った家と会社を手放すことだけは、どうしても許せなかった。野々山は急遽実家へと戻り、父親にただ一言、短く告げた。
「後継ぐから帰る」
だが、現実は残酷だった。資金繰りはショートし、手形もどうにもならない。完全に途方に暮れる状況下で、彼は藁にもすがる思いで、かつて仕事をした顧客のもとを訪ね歩いた。そんな折、ある顧客が彼に向かってこう言ったのだ。 「お前の親父には、足を向けても寝られないだけの恩がある」
その顧客は、2500万円もの資金を融通してくれると申し出た。ただし、一つの条件があった。お盆前に従業員へボーナスを払い、同時期までに返済することだ。 考える間もなく、野々山は即答した。
「返しますから、貸してください」
そこからの野々山の執念は凄まじかった。不渡りを出さないよう必死に駆け回る中、信じられないような出来事が起こる。 野々山は当時を振り返り、「本当に奇跡がね、まとめて2回も3回も来たんですよ」と語る。 5、6件のまとまった物件の見積もり依頼が舞い込み、それが一挙に決まったのだ。完全に止まっていた歯車が、音を立てて回り始めた瞬間だった。周囲の助けを借りながら少しずつ負債を減らし続け、平成32年、ついに8億2千万円の借入を完済した。
そして現在では、売上高が11億円を突破するまでに会社を蘇らせたのである。

今、野々山建設は新たなフェーズを迎えている。
愛知県で開催されるアジア競技大会に向けて、豊田市にあるクレー射撃場の改修工事という大役を担っているのだ。 「オリンピックの時に射撃場を撮影すると、うちがやった工事のところが全部出てくる」と、野々山は誇らしげに語る。
さらに、彼の目は既に海外へと向けられている。少子化が進む日本国内だけで生き残るのは難しい。海外進出の戦略について彼はこう語る。 「金魚の糞でもいいんです。スーパーゼネコンや商社の下について、少しでもお裾分けを頂けるような形にして海外へ出ていく」
プライドよりも実利を取り、泥臭く挑戦を続ける。その根底にあるのは、「誠実さであり、挨拶であり、感謝」という極めてシンプルな哲学だ。自分があるのは皆に助けてもらったからだという謙虚な思いが、彼の原動力となっている。
「会社って絶対大きくならないと思っています。若手の方が一緒になってやっていただかなければ」と野々山は語る。未経験の20代であっても、会社に魅力を感じて一緒に歩んでくれる若者を彼は求めている。
幾多の絶望を乗り越え、彼は自らの人生をもって証明してみせた。
「諦めなければ道は開ける」
野々山のその言葉は、単なるスローガンなどではない。血の滲むような経験と、感謝の念から生み出された真実なのである。





