川崎市・梶が谷駅にある北浜こどもクリニック。扉を押した瞬間に漂うのは薬品の匂いではなく、子どもたちの笑い声だ。院長・北浜直はここを「病院ではなく〝ワクワクが始まる場所〟にしたかった」と語る。
1976年、埼玉県生まれの北浜はサラリーマン家庭の長男として育った。物心ついた頃から年下の子どもに囲まれる不思議な体質があり、「小児科の町医者になる」と決めたのも自然の流れだったという。聖マリアンナ医科大学を卒業後、新生児科(NICU)で研鑽を積み、岡山医療センター、豊島病院、山王病院を渡り歩く。
NICU時代、800グラムにも満たない超未熟児と向き合い、最長90時間連続勤務を経験したこともある。「厳しい指導を受けながら、1人で3人分頑張って、赤ちゃんがお母さんに抱かれて退院していく瞬間が何よりの報酬でした」。しかし32歳のとき、自身の長男を未熟児で亡くすという試練が訪れる。命を見送りながら、しかし彼は悟った。“いのちを救う”医療と“いのちを育む”医療は、同じ線上にあるのではないかと。
悲しみを抱えたまま、彼は開業という次のステージへ舵を切る。親・上司・コンサルタントの全員が反対したが、北浜は人口・年齢層・既存医療機関を自らマーケティング調査し、川崎市高津区にクリニックを開いた。
レトロゲームの筐体は廃棄予定だったものを自ら修理し一台ずつ増やした。海水水槽はダイビング好きが高じて独学で管理を習得。望遠鏡を駐車場に据えての「月観測会」には100人近い親子が列を成す。壁一面を埋め尽くす手紙や絵は、誰に頼まれたわけでもなく子どもたちが置いていった“卒業証書”のようだ。
そして、今度は子ども食堂にも挑戦するという。なぜそこまで…そう問うと北浜は笑う。「子どもたちに病院を嫌いになってほしくないんです。それに僕自身が楽しみたいですから」楽しさは診療の質とも直結する。発熱したら“全部盛り”の検査を課すのではなく、「必要最小限で十分」というNICU仕込みの哲学を貫く。注射を痛くさせない手腕、怖さを上書きする“心理的鎮痛”も日常の風景だ。子どもが協力的になれば、不要なX線撮影や採血を避けられる…その循環が信頼と評判を生んでいく。
医療とは何か。そう問われると、彼はゆっくりと言葉を選ぶ。「人としての温かさをもって治療すること、つまり私にとっては、子どもが健やかに成長できる土壌をつくることだと思います。子どもの薬を処方するだけではなく、お母さんが抱える育児の悩みを聞いて、お父さんが気になっている身体の不調も診る。小児科である以上、私は治療したその子の、未来を見据えなければなりません。」
医は仁術なり。北浜こそ、仁を体得した医師に違いない。