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  • 役職

    代表取締役会長

  • 氏名

    成田 貞治

  • 会社名

    有限会社弘前こぎん研究所

伝統は
正しく伝えよ

弘前こぎん研究所の取締役会長、成田貞治。その名を聞けば、古き伝統の技法に命を吹き込む職人魂が思い浮かぶ。1949年、青森県弘前市で生まれた彼の人生は、こぎん刺しという日本の伝統工芸を守り抜く挑戦とともにあった。

彼の歩みは決して一直線ではなかった。若き日の成田は、東京で配電工事の設計施工に従事していた。しかし、1979年、父からの呼び戻しにより弘前こぎん研究所に入社することとなる。当初はこの決断に乗り気ではなく、いつか辞めるつもりでいたという。しかし、地道な外回りの仕事を続けるうちに、彼の内に眠る情熱が目覚めていった。地元の人々の声援や、先代所長・横島氏の本に触発され、彼はこぎん刺しの世界に深くのめり込んでいく。

弘前こぎん研究所は、1942年に地域産業の発展を目指して設立された。柳宗悦らによる民芸運動の影響を受け、こぎん刺しの基礎研究が進められた同研究所は、その後、津軽地方に伝わるこの伝統技術を世界に広める役割を果たしてきた。成田氏が1982年に所長に就任してからは、伝統と商業の両立という難題に取り組む日々が続いた。

会社の運営において特に困難だったのは、連鎖倒産の危機だ。負債を抱え、会社の存続が危ぶまれる中、成田氏は15年かけてその負債を完済し、研究所を再び軌道に乗せた。この経験は、成田氏に「伝統は商売として成立させなければ廃れてしまう」という確信を与えた。

成田氏が大切にしているのは、こぎん刺しの伝統を正しく伝承することだ。現代風にアレンジされたこぎん風の刺し子が登場する中、「これがこぎん刺しです」と誤解されることへの懸念を抱いている。彼にとって、こぎん刺しは単なる技法ではなく、地域の文化そのものなのだ。だからこそ、「津軽こぎん刺し」を地域ブランドとして全国、さらには世界へと発信することを目標に掲げている。

現在、弘前こぎん研究所が最も注力しているのは人材の育成だ。刺し手や作り手を確保し、その技術と精神を次世代に繋ぐこと。それは単に職人を増やすという意味ではなく、「伝統の正しい理解と継承」という理念を共有する人々を育てることを意味している。また、産学官の協力を通じて、こぎん刺しのさらなる発展を目指している。

成田氏の座右の銘は「十人十色」。これは、彼の人生哲学を象徴する言葉だ。一人一人が異なる才能と視点を持ち寄ることで、こぎん刺しの可能性が広がると信じている。趣味は音楽とお酒、特に赤ワインを嗜む時間を大切にしているという。そうした小さな楽しみの中にも、彼の豊かな感性と静かな情熱が垣間見える。

成田氏にとって、青森県は特別な場所だ。こぎん刺しの発祥地からその魅力を発信できることに誇りを持つ彼は、地元の自然や文化と深く結びついた生活を続けている。この地域への愛着が、彼の活動の原動力となっている。

弘前こぎん研究所と成田貞治。その名は、日本の伝統工芸の未来を切り拓く象徴だ。こぎん刺しの技法を守りながら、新たな価値を創造する挑戦は、彼の手によってさらに続いていく。

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